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「読まない」という選択肢 [日々の暮らし]

通訳の依頼を受けた時点で、私たち通訳者はヨーイドンで
準備を始めます。事前準備がどれだけ進められたかで
当日の出来不出来が決まるからです。学校の定期試験のような
「出題範囲」は一切ありません。エージェントから事前に
資料や必要な情報は得られますが、それでも当日に
何が出てくるのかわからないのがこの仕事です。

通訳者というのは、人前でパフォーマンスを披露するという意味で
ピアニストなどの楽器奏者に似ていると私は思うのですが、
与えられた曲目をしっかりと練習して弾くというものとは
また少し異なるようにも感じます。いわば演目をコンサートホールで
演奏することに加えて、当日何かサプライズで演奏を
強いられるといった感じでしょうか。

そのような「通訳」という仕事柄、事前にできることは
何としてでもやっておきたいという心境に私はなります。
あの資料、この動画、この書籍という具合に、とにかく
目を一度でも通しておけば、当日それが出てきた際に
慌てずに済むからです。自分の言語力が万能ではないと
痛感しているがゆえに、知識量でカバーしたいという思いがあります。

私の場合、こうした「媒体物への接し方」が長年の通訳業務経験を経て
身に沁みついてきた分、日常生活でも貧乏根性(?)でついつい
「せっかくだし読んでおこう」というメンタリティに陥ってしまいます。
ココロと体が元気なときは楽しくできるのですが、問題は
多忙になり心身がくたびれてきたときです。そしてどうなるかと言うと、
せっかく図書館から自らの意思で貸し出し手続きをしてまで借りてきた本は
そのままとなり、どーでもいい広告まがいの冊子をせっせと
読むという本末転倒のことをしてしまうのです。我ながら
メンドーな性格です。

つまり、「読まない」という選択肢を自らに冷静な気持ちで
課さない限り、自分の一生はそれこそ「本当に読みたいもの」を
読まずに終わりかねません。

無料冊子、ネット上のゴシップ記事、インスタグラムやツイッターなど、
今の時代は本当に大量の情報があります。「読まない」ということを
もっと自分に許し、心の底から読みたい・接したいという情報に
触れ続けて一生を有意義に送りたいと最近痛感しています。
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