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好きだから好き [日々の暮らし]

先日家族と話をしていたときのこと。
学生時代のアルバイトの話題が出てきました。

私は今でこそ教壇に立って教える仕事をしていますが、
実は学生時代に「教える」という職業に携わったのは、
自宅近くのお子さんの家庭教師だけ。
人前に立って授業をするなど、考えただけで
緊張してしまうほど、「大勢VS自分一人」というのは
苦手なシチュエーションだったのです。

よって、会社員生活を経て通訳業をしつつ
教えることを始めた際には、「あ~、学生時代に
教えていればなあ」と思ったほどでした。

もっとも、セミナーの逐次通訳で数百人を前にしても
緊張しないのですから、不思議なものですよね。
おそらくこれは話者の言葉を訳していることが
自分にとってはある意味での「隠れ蓑」になっているから
なのかもしれません。

学生時代のアルバイトに話を戻しましょう。

私は高校在学中に単発でスーパーの棚卸のバイトを
したのを皮切りに、高校卒業後はハンバーガー店の店員、
大学入学後はお弁当店のレジ兼調理係、
省庁での翻訳業務、スーパーでの商品PRスタッフ、
デパートの店員など、色々な職業を見るチャンスがありました。

中でも無心でできたのが「スーパーの棚卸」と「ネジの分類作業」でした。
「決められた量をいかに素早く完成させるか」という状況を前にすると
なぜか私は大いに燃えるのですね。とある団体でボランティア活動をした際、
資料送付のお手伝いをしたことがあるのですが、その時も
「いかに早くA4書類を三つ折りにして封筒に入れて糊付けするか」
ということを真剣に考えましたね。つまり、そうした
「効率化プロセスを考えること」が自分は好きなのだと思います。

ちなみに今もたとえば食器を洗う際、「拭いた後、引き出しに
入れやすくするためには、どういう順番で予洗いをして
洗剤を付けたスポンジで本格洗いをしてすすぐか」を
かな~り本気で考えます。

・・・ハイ、家族にはどん引きされました。
でも好きなことは好きなのですよねえ。

最大の武器は「真実」 [日々の暮らし]

連日トランプ大統領と「ロシアゲート」のニュースが
続いています。この2週間、あまりにも多くのことが
急展開しており、放送通訳の仕事をする私にとっても
ニュースを追いかけるだけで精一杯です。
過日解任されたFBIのコミー長官も、解任の書簡を
ホワイトハウスから受け取る前にニュース速報で
自分のクビが飛んだことを知ったほどです。
デジタル化時代ならではのスピードということでしょうね。

コミー長官はアメリカ大統領選挙の投票直前に
クリントン氏のメール問題について発言し、
それがクリントン氏の敗北につながったとされています。
ヒラリー氏自身も、もしコミー長官の発言前に
投票が行われていたら自分が勝利していたと
最近になって恨み節を口にしていました。

けれども色々なアメリカでの報道や論説、
特集記事などを読むにつけ、コミー氏というのは
とにかく「真実」を何よりも大切にしているのだという
印象を私は抱くようになりました。それが時には
想像を絶するような展開を招いたとしても、
そしてそれが自分へのバッシングになったとしても、
「正しいこと」が何かを常に考えて行動しているのだと
思えるのです。

アメリカの政治専門紙「ザ・ヒル」は最近、
「トランプ氏が一番恐れているのは、真実を語る人物」との
記事を出しました。その人物とはもちろんコミー氏のことです。

http://thehill.com/homenews/administration/333337-comey-friend-nothing-scarier-to-trump-than-someone-who-tells-the

計算づくめにせず、保身を考えず、とにかく「真実」に
忠実になること。それがコミー長官なのかもしれません。
そして今のアメリカにおいて、様々な反発をおそれずに
真実を語れる数少ない人がコミー氏なのだと思います。
ヒラリー氏のメール問題で大バッシングを受けたコミー氏ですが、
今、そのコミー氏に希望を託す人がアメリカでは増えているそうです。

ちなみにラテン語のVincit Omnia Veritasは
truth conquers all things(心理は万物を制す)という意味です。

校長先生 [日々の暮らし]

最近、自分の高校時代をよく思い出します。
帰国生の多い学校で、一般の高校とは少し(いえ、かなり)
違う雰囲気の場所でしたが、海外で暮らした私にとっては
実に居心地の良い校風でしたね。と言いますのも、
私は中学2年まで海外に暮らしており、
中2の夏休みに帰国。地元公立校に入ったものの、
今一つなじめなかったのです。特に海外では
許されている事柄が日本ではすべて校則違反と
言われることがこたえました。それなりに理由が学校側にあったのは
わかります。けれども、自我の芽生えた10代半ばの者にとって
どうしても理解しがたい部分もあったのですよね。

ですので、高校の3年間というのは本当に充実していました。
校風も自由で、先生の授業も実に自由。
外が晴れていれば「先生~、外で授業しよ~」「いいねえ!」
という具合に、先生も生徒もおおらかでした。

中でも印象的だったのは当時の校長先生です。
公立中学時代は「校長先生=朝礼で長い(失礼!)話をする先生」
というぐらいの印象しかありませんでした。
ふだんの授業でもほとんど接点がなく、教室を巡回
なさったわけでもなく、とにかく距離感がありました。

一方、高校時代の校長先生はすでにお年をめされて
いたものの、ほんわかした雰囲気の先生で、いつも、
本当に「いつも」にこにこなさっていたのです。

生徒というのは校長先生を前にすると普通は緊張するものです。
けれども当時の校長先生は気さくに私たちに話しかけて
くださったのですね。その高校には胸に付ける名札がなかったため、
校長先生は生徒と話すたびに「君は何という名前なの?」
とよく尋ねておられました。

生徒から大いに慕われた校長先生は、卒業式の卒業証書授与の際、
多くの生徒から握手を求められていました。
自由な学校の、これまた自由な卒業式でしたので、
女子生徒の中にはいきなり校長先生にハグした子もいました。
拍手喝采、「イエ~イ!」の大合唱です。

・・・こうして書くにつけ、ホント、自由だったのだなあと
懐かしく思い出します。

変えられることと変えられないこと [日々の暮らし]

悩んでいるときというのは、ややもすると
堂々巡りになってしまいますよね。私自身、
なるべく日々前向きに過ごしたいとは思います。
けれども人間ですので、落ち込むことは
もちろんあります。特に睡眠不足や体調不良などが
重なるとてきめんです。

先日もささいなことでドーンと気分が沈むことが
ありました。けれどもその時ふとこう考えたのです。

「自分で変えられることならば全力で取り組む。
変えられないことならば思い悩んでも仕方ない。」

当たり前と言えば当たり前なのですが・・・。

どうやら人の悩みというのは、「変えられないこと」に
あれこれ考えてしまうから、余計辛くなるのですよね。
先の考えを思いついてからだいぶ楽になりました。

以来、何かに直面した際には「それって私一人で
変えられること?」とまずは自問自答します。
もし変化をもたらせる事項ならば、どうすれば
より良くさせられるか具体的な案を考えます。

一方、どう頑張っても私一人では変えられないこと
と見極めたなら、もうそれ以上考えても仕方ありません。
あーだこーだとウジウジ悩めば余計エネルギーを
消耗します。ならば「変わらない?じゃ考えるの終わり!」
と区切りを付けるようにしています。

質問の仕方 [日々の暮らし]

日経新聞を読み始めてからずいぶん年月が
経ちました。初めて本紙に触れたのは小学校2年生の
ときです。父の転勤で私はアムステルダムにいたのですが、
当時は今のようにインターネットなどありませんでした。
新聞をとってはいたものの、郵送で送られてくるのは
発行日から1週間後。その頃は日本の書店なども
現地にはなく、とにかく私は日本語に飢えていたのです。
手当り次第に日本語の活字にありつければとばかり、
親の新聞をパラパラとめくってはひらがなのみを
拾い読みしていたのでした。

そんな幼少期を過ごしたからなのかもしれません。
いまだに私は紙新聞が好きです。今も自宅では日経新聞を
定期購読しています。ちなみに英字新聞は積読に
なった苦い経験から、今は「外出時に駅のキオスクで買う」
というルールにしています。そうすれば溜めこまずに
すみます。

さて、そんな紙新聞ですが、何が良いのかと言えば、
思いがけない記事との出会いです。先日もスポーツ欄で
興味深い内容を読むことができました。
日経新聞のスポーツ担当、吉田誠一記者のコラムです。
今回紹介されていたのは、サッカーでの指導法、
具体的にはJ2京都の少年サッカーについてでした。

それによると、子どもたちに「質問はありますか?」や
「わかりましたか?」などと尋ねても、子どもは
つい遠慮してしまい、かえって質問が出てこないのだそうです。
よって、大事なのはそのような文言ではなく、
「わからないところはどこかな?」と尋ねることと
ありました。

言い換えると「わかった?」という問いは、
ややもすると「わからないなんてことはありませんよね」
という高圧的な響きがあるのだそうです。

なるほど~。非常に参考になります。
ただ、そもそも「質問しやすい雰囲気」や「他者と異なる
意見を出しても構わないという空気」、あるいは
「質問することを美徳とする」という状況であれば、
指導する側もされる側も楽になるのではと
私は感じています。

(日本経済新聞2017年5月10日水曜日朝刊)

なぜ焼肉店? [日々の暮らし]

気持ちの良い季節になりましたね。
以前は早朝勤務で家を出たときも、あるいは
勤務先に到着した時間帯も空は真っ暗でした。
けれども最近は5時前にしてすでに明るくなっています。

先日のこと。あまりにも気持ちの良い朝でしたので、
早く目覚めたこともあり、軽くジョギングへ出かけました。
数年前に関節を痛めてからは「コンクリートを
走ると悪化するのでNG」とドクターストップを
かけられています。よってこの日もゆるゆると走ることに
しました。

桜の季節が終わり、すでに菖蒲やスズラン、
ツツジなどが至る所に咲いています。
近くの田んぼも田植えの準備が始まっており、
例年同様、トラクターが止まっていました。
こうした光景を愛でながら軽く走っていると、
気持ちもぐんぐん上がってきます。

さて、この日私が注目したのが外食店でした。
ファミリーレストランや郊外型カフェ、
イートイン付のコンビニなど、今の時代
「食べる場所」に事欠きません。本当に色々な
ジャンルのレストランがあることに気づかされます。

中でも数として目立ったのが焼肉店でした。
たまたま我が家の近くに多いというだけなのかも
しれませんが、それにしてもイタリアンや回転ずしと
比べるとたくさんあるのです。

なぜでしょうか?自分なりに考えてみたところ、
日本人自体が肉食傾向になっているのでは
ということが頭の中に浮かびました。
仮説としては、「国の発展と共に肉食が増える」
というものです。以前、「国が豊かになると
チョコレートの消費量が増える」という文章を
読んだことがあり、そこから連想してみました。

帰宅後、インターネットで調べたところ、次のことが明らかになりましたね。

*第二次世界大戦前と比べると、日本人の肉や卵の
消費量は10倍になっている。

*新興国での食肉は増加中。

*アジアのように所得が上向く地域では食生活の変化も
見込まれている。肉の消費量は増加し、生産量の増加を
上回ると考えられる。

*中国では1人当たりの年間食肉消費量がすでに日本を
上回っている。

ざっとこんな感じです。

ちなみに私が子どもの頃、自宅近くにある外食店と言えば、
ラーメン店、お蕎麦屋さん、個人経営のお寿司屋さんぐらいでした。
他の地域でも同様に今の時代は焼き肉店が際立つのかどうか、
街頭ウォッチングをしてみるつもりです。

ところでロンドンのBBCで働いていた時のこと。
どうしても韓国風の焼き肉を食べたくなり探したのですが、
意外と少ない状況でした。ようやくありついたのが、
ロンドン南西部New Malden地域にあるお店です。
実はこの地域は韓国人コミュニティーがあるのですね。
入店してお座敷に案内された際、雰囲気が日本のようで、
ホッとしたことを思い出します。

(参考サイト:
ネットワーク「地球村」サイト
http://www.chikyumura.org/environmental/earth_problem/food_crisis.html

農林水産政策研究所関連資料
http://www.maff.go.jp/primaff/kenkyu/model/pdf/bunseki.pdf

長い地名 [日々の暮らし]

イギリスで放送通訳をし始めたのを機に、
Chartered Institute of Linguistsという団体のメンバーに
なりました。以来、定期刊行物が送られてくるのですが、
ことばに関する話題が毎号掲載されており、
興味深く読んでいます。

2017年の4・5月号には地名に関するコラムがありました。
そこで紹介されていたのが、アメリカ・マサチューセッツ州にある
湖の名前です。日本でもバラエティ番組で取り上げられたことが
あるそうです。

スペルは、

Lake Chargoggagoggmanchauggagoggchaubunagungamaugg

(すみません、コピペです!)

日本でも個人ブロガーの方が紹介して下さっています:

https://www.sekai-totsugeki-jouhou.com/2014/01/22/the-longest-place-names/

・・・とここまで調べて「日本一長い地名」が気になったので
検索したところ、愛知県にあるそうです:

愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割
(あいちけん あまぐん とびしまむら おおあざ 
とびしましんでん あざ たけのごう よたれ みなみのわり)

ところで地名といえば、荒川流域の地図を見てみると、
なぜか河川敷に大字の区域がいくつか見受けられます。
ここに書かれている地名はいずれもさいたま市内に
ある地名なのですが、堤外ではそのまま大字表記になって
いるのですよね。

ちなみに荒川を川上から川下まで地図上で追ってみると、
埼玉県と東京都が交互に入り組んでいるのがわかります。
「川の南側=すべて東京都」というわけではありません。
なかなか興味深いですね。

励まされることば [日々の暮らし]

私が新聞を読むのは、放送通訳という職業柄
常にニュースを追いかけねばならないというのが
最大の理由です。けれども、「思いがけない記事に出会える」
というのも大きな動機づけとなっています。

先日も励まされる言葉に遭遇しました。
LGBTを知るイベントを主催する杉山文野さんのインタビューです。

杉山さんがカミングアウトしたのは中3の時。
さらに今から10年ほど前には自叙伝も書いたそうですが、
いずれの時も理解を得られず家族で苦しんだり、
ご本人が周囲から色々言われたりするなど、大変な時期を
経験されています。

記事には次のように書かれています。

「『悩むなら、3秒でも早く言ったほうがいい』。
短い人生、本当の自分を知って離れていく人に
使う時間はない。座右の銘は『成功するまでやれば
必ず成功する』」

この文章をヒントに、私も「悩む」際の「3秒」を
意識したいと感じました。うじうじ迷っていて
堂々巡りになるぐらいなら、とりあえず3秒考えて
あとは直感で動くことも良いのではないかと感じるからです。

とりあえず動いてみる。
そしてそのあと考える。

それこそPDCAサイクルではありませんが、
何もせずに心が泥沼化するよりも、まずは
勇気をもって行動したいと感じています。

(日本経済新聞2017年4月26日水曜日夕刊より)

読みたい本リスト [日々の暮らし]

日経新聞はここ数年、電子版の会員が急増している
そうです。最近は技術の発達により、紙版と
同じような誌面レイアウトで新聞が読めるように
なったのですよね。私は大学や通訳学校、セミナー会場
などで「紙版の新聞を読んでいる人は?」と
尋ねるのですが、年々それは減っています。
いつでもどこでも読める電子版の利便性が
評価されるのも、時代の流れなのでしょうね。

それでも紙版に私はこだわっています。
単なるネットニュースと比べて様々な記事に
遭遇できますし、下部の書籍雑誌広告から
思いがけない一冊に出会えることもあります。
気になる記事はビリビリと切り取ってノートに貼って
いるのですが、そのノートがどんどん
膨らんでいくとそれだけで達成感大です。

ところで日本における出版そのものを見てみると、
月刊誌も書籍も週刊誌も販売額自体は
減っています。ただ、私の印象では海外と比べると
日本は日々発行される書籍点数は格段に多い
という印象です。現に新聞の広告欄には毎日
新しい本が紹介されていますし、その本も
早く書店で入手しないとあっという間に
現場から消えてしまうようです。

最近私はもっぱら図書館を活用しているのですが、
読みたい本リストを管理する際、無料の
オンラインストレージサービスDropboxを活用
しています。ワードで「読みたい本リスト」を作成し、
それを常時Dropboxに保管しておくのです。
読みたい本が出てきたらリストに追加して保存。
あとは出先でもそのリストにアクセスさえできれば
図書館の検索機で探せます。

かつては手帳の巻末白紙ページに読みたい本リストを
書いていたのですが、年度が替わり新しい手帳になると、
リストを丸ごと移行するのが大変だったのですね。

ちなみにワードでの作成は2段組みで行っています。
以前このブログでも書きましたが、2段組みにすると
見やすいので助かっています。

もう一つ。Dropboxはこれまで無料版を使っていたのですが、
容量の制限があったため、最近有料版に切り替えました。
年1万円ほどの料金ですが、授業に必要な資料など
どんどん投げ込めて容量を気にせずに使えますので
私にとってはストレスフリーとなっています。

まずWhy?から入ってみる [日々の暮らし]

最近街中を歩きながら道行く人を見ていて
改めて気づかされることがあります。それは
スマートフォンを見ながら歩行する人が
多いことです。急ぎのメールやLINE、気になる情報の
チェックなど、どうしても画面を見たくなる、あるいは
見ざるを得ない状況にあるのでしょう。
それだけ世の中がfast-paced状態になっているのは
事実ですし、寸暇を惜しんででも追いつかなければ
いけないというのも、ある意味では分かります。

けれどもその一方で、もし本人がそれに違和感を覚え、
「追い立てられてばかりいること」が嫌なのであれば、
それはあまりにも気の毒な状況だと思えます。
自分で自分の人生のinitiativeを取れず、
常に何者かに追われる状態で日々があっという間に
過ぎてしまうからです。

このブログで私は何度も「いまだにスマホも
iPadもモバイルPCも持っていない」と書いてきました。
今の時代であればかなりのマイノリティでしょう。
幸か不幸か、自分の日常業務には今の所支障が出ていませんので、
「持たない」という選択肢を維持しています。
けれどもこれがずっと続くとも思えません。いずれ
運転免許証やATMカード、診察券に各種証明書など
すべてがスマホ一台に収められる日も、
そう遠からずやって来ると思えるからです。

その日が到来するまでせめて私がやりたいこと。
それは日々の生活をしっかりと味わい、目の前の物事を
きちんととらえて常に考え続けることだと
思っています。そのためにも何かを見聞した際、
まず第一に「なぜ?」ととらえるようにしたいと
考えます。

目の前の情報や光景など、「ま、そういうもの」と
何となくとらえることも一つの方法です。
けれどもそれでは自分が流されてしまうように思えて
しまうのですね。

だからこそ「なぜこうなのだろう?」「どうして
こういう結果になったのかな?」と常に客観的に
Why?という疑問符を自分に投げかけながら生活したいと
思っています。

・・・もっとも私の場合、別にムズカシイことに
このWhy?を用いているわけではありません。
それこそ街中の看板のロゴを見ては「なぜこのフォント?」、
電動アシスト自転車が多い地域に来れば
「なぜこのあたりには多いのか?」など、
もっぱら身の回りのことに「なぜ?」感を抱くように
しています。
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