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広い視点を持つ [日々の暮らし]

最近のスーパーには様々な国からの輸入品があります。
先日購入したブドウはチリ産でしたし、
オクラはフィリピン産、赤ワインは南アフリカからで
オレンジはイスラエルのものでした。
かつて航空会社でカーゴを担当していたとき、
日本で一番輸出入が多い「港」は成田空港だと
習いました。確かに空の「港」ですよね。

海外産の食材パッケージを眺めていると、
「わざわざ現地で日本向けに日本語表記印刷を
してくれたのかなあ」などと考えます。
何だかそれだけでありがたくなります。

子ども向けの新聞で日本の貿易について
読んだことがあるのですが、そこには
「物流を滞らせないためにも、日本は世界と仲良くする必要が
ある」と書かれていました。今こうして私たちが
世界中からの食材にありつけるのも、
日本が他国と平和裏に共存しようという思いが
積み重なってきたおかげです。

このように、食材ひとつから世界について考えると、
地球の大きさを改めて感じます。
日々の生活をしていると、人間はつい狭い視点に陥ってしまい、
悩んだり傷ついたりします。けれども、少しだけ見方をずらし、
広い視点から物事を眺め続けたいと私は考えています。

「泣き寝入り」 [日々の暮らし]

私が好きな映画の一つに「謝罪の王様」があります。
脚本は工藤官九郎さん、監督は水田伸生さんで、
今から数年前に公開されました。主演は
阿部サダヲさん、井上真央さん、竹野内豊さんなどです。

キーワードは「謝罪」や「土下座」で、
これらのことばを中心にオムニバス形式で
描かれています。

映画の中には喫茶店が出てくるのですが、
その店名は何と「泣き寝入り」。こういう部分にも
監督や脚本家のこだわりが出ていて、
観ていると謎解きをしているような気分になります。

ところで「泣き寝入り」で思い出すことがあります。

仕事でロンドンにいたときのこと。
クリーニングを引き取りに行った際、当初
出したのとは異なる赤ジャケットが返されました。

「他の人のジャケットを間違えて入れたのでは?」と
店員さんに尋ねると、「ああ、あなたのジャケットね。
ボロくて破れちゃったんだよ。だから代わりのを
入れたから」と平然と言われたのです。

「破損させてしまった」と正直に言われれば
こちらも納得します。しかし、コッソリと別物を
入れてごまかそうとしたことに私は納得がいきませんでした。
そう主張すると「悪いけれど、それはボクの
職権では何もできないから」とけんもほろろ。
と言うわけで、彼の上司に苦情の手紙を
書き、最終的には賠償金という形で終わりを迎えました。

この過程には余りにもいろいろあったので途中の顛末は省きますが、
その時私が強く感じたのは、「泣き寝入りをしてはいけない」
ということでした。

自分に不正が降りかかってきた場合、
取れる選択肢は二つしかありません。
その一つが「我慢すること」、つまり「泣き寝入り」です。
「まあ、確かに着古したジャケットだったし。
しょうがないか」と思えば事を荒立てずにすみます。

もう一つの選択肢は、「間違っていることは間違っている」
と、こちらの主張を伝えることです。
ただあの当時、私がそのお店の間違いを指摘することは、
別の見方をすれば「ウルサイ日本人」と思われる
可能性も秘めていました。そのクリーニング店は
私の通勤ルート上にあり、毎日その店舗前を
通っていましたので、朝夕の出勤時に
冷やかに店員から見られることも考えられたのです。
多文化共生とは言え、「非英国人」として一時的に
仕事をしている身分でしたので、「だから日本人は」
「まったく日本人って・・・」と後ろ指を指されるような
事態にもしたくありませんでした。

「苦情レターを英語で書くのも大変だし、書いたところで
何も変わらないかもしれない。大したジャケットじゃ
なかったと思って私自身がガマンすれば
荒波立てずにこれからもこの街で暮らしていけるかも
しれない」

そんな思いも頭をよぎりました。

それからいろいろ考えましたが、最終的には
「これはどう考えても先方がおかしい」との結論に
至りました。ですので、言うべきことは正々堂々と
主張しようと考えたのです。

「あの日本人が」「あの人ったら」とどれだけ
言われようと、自分が冷静に考え抜いて
「正義」という回答を導き出したのであれば、
泣き寝入りしてはいけないと思ったのでした。

Just say NO [日々の暮らし]

月に1度ヘアサロンに行くことは、私にとって
大きな息抜きです。仕事や家から離れて
癒しの空間でのんびりできることが、
次への活力につながるからです。今通っているところは
随分前からお世話になっているサロンで、
スタイリストさんやアシスタントさんたちと
他愛のないおしゃべりをしつつ、素敵な空間に
浸ることができます。私にとってかけがえのないひとときです。

中でも楽しみにしているのが、様々な雑誌を読むこと。
私は日ごろ忙しくて雑誌を読む時間がないため、
ほとんど購入することがありません。ですので
何冊ものファッション雑誌を読むことで
最新トレンドや有益な記事などに触れられるのは
嬉しい限りです。

最近よく雑誌に出てくるのは、ホームパーティーの
記事です。パーティーの際にどのような装いをするか、
どういったメニューを組み立ててお客様をお迎えするかなど、
写真つきの記事からは楽しそうな様子がにじみ出ています。
子どもが小さければレストランでは気が引けますし、
公園などでも目が離せません。そう考えると、
ホームパーティーというのは一番安心なのでしょうね。

そんな読後感を持っていたのですが、先日、
家計相談に関する記事を別の媒体で読みました。
相談者はお子さんがいるお母さん。
ママ友達との食事会やホームパーティーにお金が
どんどんかかってしまい、負担であるという相談内容でした。
「たまに」であれば気分転換にもなりますが、
頻繁に集まりがあると金銭的にも精神的にも
大変になってきます。
そう考えると、ファッション雑誌に出ていた、あの
ホームパーティーにもプラスとマイナスの両方が潜んでいると
改めて思いました。

子ども時代に過ごしたイギリスで、よく耳にした
表現があります。それは"It's up to you" と
"Just say NO"です。前者は、「自分で考えて
自分で結論を出し、責任も自分で取ること」という
メッセージが潜みます。一方、後者のJust say NOは
「自分の人生なのだから、周りからどう
思われようとイヤならイヤと言えばよい」というものでした。

周囲の目を気にするのでなく、自分で責任を
持つこと。これができると人は強くなれるのでしょうね。

fighter [仕事]

最近のブログというのは色々な機能があるのですね。
日ごとに訪問者数が更新されたり、いつの時間帯に
最も多く読まれているのかというようなことが
わかるようにもなっています。ちなみにこのブログでは
「ジーニアス英和辞典」で検索してからいらっしゃる方が
圧倒的に多いようです。

それに次いで実は多いのが、私が大学時代にお世話になった
井上久美先生のお名前での検索です。

数年前にも当ブログで書きましたが、久美先生は長年の闘病生活を経て
お若いままお亡くなりになりました。
お子さんたちを育てながら通訳業という極めてハードな
仕事に携わり、後進を育てることに尽力なさった先生です。
私よりも小柄でスリムな先生が、一体どのようにして
あのバイタリティと仕事への情熱を体の中から
生み出しておられたのか、いつも尊敬の念で私は
拝見していました。

久美先生のお姿はYou Tubeにもいくつか動画でアップ
されています。そちらを観てみると、先生が常に
自分の信念のために戦っておられたことがわかります。
まさにfighterでした。

他人の価値観や世の中の通念に流されない。
たとえ周囲から何と言われようと、自分自身を生きる。

そうした強いメッセージが久美先生のお話からは
にじみ出ています。

もし今、人生に迷いがあったり、周囲からの圧力で
屈してしまいがちだったりという方がいらっしゃるならば、
先生の動画が生きる上でのヒントとなるかもしれません。

コラム更新のお知らせ [各種連載]

「通訳者のひよこたちへ」第257回がアップされました。
『チェックマークから思い出すこと』というタイトルです。
本の紹介、今回は「強くしなやかなこころを育てる!
こども孫子の兵法」(齋藤孝著、日本図書センター、2016年)です。

http://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/

「放送通訳者直伝!すぐ使える英語表現」、
第129回は「激しくなる」というフレーズです。

http://www.hicareer.jp/english/housou/129.html

どうぞよろしくお願いいたします。

「あなたも耐えるべし」 [日々の暮らし]

随分前に読んだ小説か、あるいはドラマだったかもしれません。
壮絶な嫁姑バトルのシーンが出てきました。
嫁の方はとにかく姑にひたすらいじめられ、
心身ともに疲弊しきっていたのです。
ところがところが、いざ嫁が姑の立場になり、
若いお嫁さんを迎え入れるや、今度はそのお嫁さんを
いびり出したというシーンが繰り広げられました。
「自分は嫁姑で苦労した。だから自分の世代で終わらせたい」
となるのかと思いきや、知らず知らずに、自分と同じ苦しみを
次世代に味わわせていたのです。
「私が苦しんだのだから、ヨメも苦しめ」という
心境だったのでしょう。

なぜこうなってしまうのでしょうか?
「同じ苦労を味わわせたくない」と心の中で思ってはいても、
どこかで「何の苦しみも味わわない若い嫁はズルイ」
という嫉妬心が根深く存在しているのかもしれません。
あるいは、「ロールモデルとなり得る姑」を長年知らずに
過ごしてしまったがゆえに、自分も姑と同じような言動を
取るようになったのかもしれません。

ところで最近の子育て環境は日々進歩していると私は
感じます。もちろん、まだまだ改善せねばならないことは
たくさんあるとは思います。けれども、歴史をさかのぼって
高度経済成長期を見てみると、当時は
共働きなどまずありえませんでした。
夫婦そろって働いているだけで「あの家は収入が少ないから
奥さんも働いているのだ」と陰口をたたかれたのです。
「子どもは幼稚園に行くのが当たり前。
保育園に子どもを預けると不良になる」という言葉もありました。

当時は紙おむつなど高額で買えず、布おむつの洗濯に
明け暮れる母親たちがいました。ベビーフードも手作り、
全自動洗濯機にせよ電子レンジにせよ、所有世帯は少数派。
車を持つ人もほとんどいない時代があったのです。

21世紀に入って間もないころでさえ、今ほど駅には
エレベーターやエスカレーターはありませんでした。
私自身、子どもと外出した際には重たいベビーカーを
1人で持ち上げ、階段を上り下りしました。
おむつ替えエリアも今のようになかったのです。

そういう面から考えると、高度経済成長期に苦労した母親たちが
子育て環境の進展を促してくれたことは本当にありがたいと感じます。
「私たちだって苦労して頑張った。だからあなたたちも
同じように苦労せよ」と言わずにいてくれたからこそ、
今の進歩があると思うのです。

「私だって耐えた。だからあなたも耐えるべし」
という風潮がある限り、物事は進歩しないのですよね。

ボランティアのおじいさん [日々の暮らし]

以前イギリスの館に関するドキュメンタリーを観ていた時のこと。
庭園で働くボランティアのおじいさんが紹介されていました。
年齢は確か90歳前後だったと思います。
そのおじいさんは地元の方で、何か人々の役に立ちたいので
ガーデニングのお手伝いを買って出たのだそうです。

もともと土いじりが好きだったこともあり、
雨の日も風の日も欠かさず館に詣でて
庭園の仕事に携わっておられます。
最近はご本人の年齢を周囲の方が心配して気遣って
くれるとのこと。でもおじいさん自身は大好きな庭仕事で
一生を終えられるのならそれで構わないと始終笑顔でした。

私など、サボテンも枯らすぐらいガーデニングに疎く、
買ってきた切り花がかわいそうなことになったことも
少なくありません。雨の日は濡れるのが苦手ですし、
寒いとなれば屋内に留まる方です。
「お給料を上げるから」と言われても、そもそも
不得手のガーデニングとなると、「うーん」とうなってしまいます。
ですので、私の場合、このおじいさんのようなガーデニング・ボランティア
などは最も不適任でしょう。

だからこそ、先のおじいさんのように、好きなことを
好きな人がやることが一番だと私は考えます。
大好きなことに携われれば本人も幸せになります。
また、そうしたおじいさんの姿は周りの
ボランティアたちをもハッピーにしますし、
それがひいてはその館全体への貢献につながります。
そしてそのお屋敷を訪れた来館者も「来てよかった」と
思うことでしょうし、そんな来館者の姿をボランティアたちが見れば、
「好きなことでボランティアをしてお役にたてて良かった」
ということになります。これが真の生きがいだと私は思うのです。

ボランティアというのはこのように循環作用を
するものであり、それがどんどん波及して、関わりのある人たちや
地域社会全体を幸せにしていける力があります。

その一方で、不得手なことを強制されればどうなるでしょうか?
それは先に述べた「良き循環作用」とは全く逆方向にいくことに
なります。内心イヤイヤの気持ちで携わっても
効率は上がりませんし、周囲も幸せにはなれないでしょう。
人によっては、あまりの辛さに心を病んでしまうことさえ
ありえます。

成熟社会であれば、「報酬」を支払うことで、当事者の
「時間的・物理的貢献」に報いることになります。
しかし、一方的に労働を命じて一律に悪平等を強いれば
どうなるか。それは冷戦終結後の社会主義国家解体を見れば
明らかです。

ボランティアであれ有償であれ、適材適所を考え
効率化を目指していくことこそが、組織や社会が
発展していける解決策だと私は考えます。

英語への感謝状 [英語]

英語を学んでいて「良かった」と思えることは色々とあります。
中でも私にとって大きいのは「より広い視点で物事を
眺められるようになった」ということでしょう。

たとえば日常生活の中で何か理解に苦しむことに遭遇したときも、
「こういう問題は海外でもあるのだろうか?」と考えます。
今はネットで色々と調べられますので、グーグルで検索すれば
すぐにわかります。たとえば日本で今問題となっている
「待機児童」や「高齢者福祉」などについても、
海外の事情はどうなのかリサーチすると色々と見えてくるものがあります。

そうしたサイトを英語で読み進めると、日本の状況が
実は海外と似ていたり、あるいは日本の方が実はよほどマシだったり
ということがわかってくるのです。そのようにして客観的に
物事をとらえられると、自分の中の悩みもより鳥瞰図で
把握できます。これまで私は大変なことにぶつかると
英語を道具として調べ、自分を励ましてきました。
ですので、「母語以外のことばを知っている」ということが
いかに自分を助けてくれたか身に染みて感じます。

英語学習の動機は人によってさまざまでしょう。
就職活動や昇進のために試験の点数を上げるということも
モチベーションの一つです。けれども私の場合、
自分の人生の「応援団」に英語がなってくれていると
思っています。感謝状をあげたいぐらいです。

Habana [日々の暮らし]

最近CNNの放送通訳で印象に残っているニュースの一つに
アメリカ・キューバの関係改善が挙げられます。
長年敵対していた両国が歩み寄りを見せている
というのは、歴史の大きな転換点だと感じます。

そのようなこともあり、私の中でもキューバに対する
興味が湧いてきています。先日ショッピングセンターに
出かけた際、旅行代理店の前を通りがかったのですが、
そこにはキューバのパンフレットが置いてありました。

キューバというのは、21世紀の今の時代でも
古き良き光景を残すまれな国だと思います。
建物もそうですし、走っている車やお店の雰囲気など
とてもレトロなのですよね。このパンフレットは
普通の旅行チラシとは異なり、写真がストーリー性を
帯びていて眺めて楽しい冊子になっていました。

そこでふと気がついたことがあります。
首都ハバナの綴りがHabanaになっていたのです。
「あれ?英語ではHavanaなのに。
大手旅行代理店がスペルミスをしたのかしら?」
と気になりました。

早速、研究社の「リーダーズ英和辞典」で調べたところ、
Habanaはスペイン語の表記なのだそうです。
これで問題解決となりました。

・・・と思ったのですが、「ではスペイン語では
bとvは使い分けをしているのかしら?」と
またまた気になり、ネットで検索してみました。
どうやらbとvは同じように発音するのだそうです。

インターネット上にはforvoという発音検索サイトがあります。
そちらで調べてみたところ、複数のエントリーがあったのですが、
いずれも両方の音に聞こえましたね。

音やことばの世界というのは本当に奥が深いです。

「正しい答え症候群」 [日々の暮らし]

大学生を指導していてよく聞こえてくるのが
「就職活動に備えて新聞を読むようにしたい」
というものです。今の世代は物心ついたころから
デジタルの世界にいます。就職活動もスマホ、
友人との連絡もスマホという具合に、
生活の中でスマホの占める割合は非常に高いと
言えるでしょう。学生たちは「新聞の電子版も
もちろん読むけれど、できれば紙新聞も読めるように
なりたい」と考えているようです。

私は辞書も新聞も書籍も紙世代であり、
いまだに紙地図、郵便でのお手紙のやりとりという具合に
紙ベースが好きなタイプです。ですので、
自宅では日本経済新聞を購読し、朝夕届けてもらって
います。

紙新聞の良さは何と言っても「思いがけない記事に
出会えること」。自分が関心を抱いていない分野の記事も
目に入ってきますので、そこから興味が出てくる
という確率が高いのです。

先日の日経新聞には、「ウーマンズ・イニシアチブ・
フォーラム特集」と題するページがありました。
起業家精神に富む女性たちを応援するという内容です。
そちらに出ていた一橋大学名誉教授・石倉洋子先生の
ことばが印象的でした。

「女性に限らず日本人は『正しい答え症候群』に
陥っている。正しい回答・進め方が見つかるまで
動こうとしない。」

この言葉には非常に考えさせられました。
日本人はまじめとよく言われますが、もしかしたら
その几帳面さ・まじめさがゆえに間違いを恐れ、
ついつい正解を求めてしまうのかもしれません。

「今はスピードが勝負。考えているうちに時機を逸する。
とにかく行動すること。」

このように石倉先生は述べています。

(日本経済新聞2016年4月13日水曜日朝刊)