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「生活は芸術である」 [日々の暮らし]

越後湯沢ではおかげさまでのんびりとくつろぐことができました。
とはいえ、日頃からガンガン歩くのが好きな私にとって
いくらくたびれていてもずっと同じ場所でじっとしているのは
性分ではありません。どこか出かけたいなあと思いながら
先に入手していた観光パンフレットをあれこれ眺めていました。

ホテルから街中までは歩いて15分ぐらい。
幸い雪も降っておらず、さほど寒くはありません。
そこでパンフレットで見つけた資料館へ出かけました。

資料館は街の歴史を紹介している施設なのですが、
特に力を入れていたのが川端康成に関する展示でした。
川端康成は越後湯沢を舞台に小説「雪国」を書いています。

館内には川端直筆の資料を始め、川端本人に関する
貴重な展示がたくさんありました。川端康成は最初、東大の英文科に入り、
そのあと国文科に転籍していたそうです。
今回初めて知りました。

展示の中で印象的だったのが次の言葉です。

「生活は芸術である」

日々の生活そのものを芸術ととらえていた川端の美学が
この8文字にはにじみ出ていると私は感じています。

思えば「通訳」も一種の芸術なのではないかと思うぐらい、
すべての物事が接点を持ち、作用し合っていると
私は思います。だからこそ、毎日を丁寧に、今を大切に
生きていきたいと考えています。

参加方法は状況に応じて [日々の暮らし]

先日家族で越後湯沢へ行きました。毎年恒例の
スキー旅行です。私は社会人になりたての頃、
スキーに魅了されて道具からウェアまでそろえるほど
のめり込んでいたことがありました。
もっとも、肝心のスキー技術は向上せずじまいでしたが、
それでもずいぶん各地のスキー場で滑っていました。

その後海外に留学・転勤などをしたため、しばらく
スキーからは遠ざかっていました。
復活したのは子どもたちが幼稚園になったころです。
幸い子どもフレンドリーな宿泊施設が
越後湯沢にはあり、しかもスキー専用ゲレンデだったことから
そちらを毎年利用しています。

娘の方は幼稚園年少でスキーデビューしたものの、
当時は「寒い~、怖い~」のオンパレード。
子ども用スキー教室に参加させたものの、
早々にリタイヤしたほどでした。ところが
執念深く(?)毎年連れ出すことは続けました。
また、我が家の地元にあるプール教室主催の
スキー学校に行き続けたおかげで今では楽しんで滑れるようになりました。
息子も毎年参加し続けた結果、子どもたちのスキー技術は
親のそれを完全に追い越しましたね。

そんな状況で今回も出かけたのですが、一方の私たち夫婦は
日ごろの疲れがドッと出る始末。ゲレンデに出たのは
わずか1度だけで、あとはのんびりと過ごしました。
疲労回復に充てられた貴重な週末でした。

今回の旅行で思ったこと。
それは「何事も地道に続ければ必ず前進できる」ということ。
子どもたちの成長がそれを教えてくれました。

そしてもう一つは「ライフステージに応じた参加の方法がある
という点。親の方は、「毎年滑っているから今年も」と意気込みたい
ところを今回は抑えてのんびりしました。
疲労回復も仕事のうち。こういうライフステージというのも
また味わうべきことなのかもしれませんね。

「NHK英語テキスト2016フル活用ブック」 [英語]

毎年この時期になると書店にならぶNHK語学講座の案内。
今年もすでに店頭に並んでいます。

全64ページから成り立っており、全講座の説明が
出ています。私が携わっている「ニュースで英会話」も
37ページに紹介されていますので、よろしければご覧ください。

冊子には「英語力測定テスト」もあります。
どの講座にしようか迷っている方は
こちらを受けてみると自分のレベルを知ることができます。

書店のNHKテキストコーナーにありますので、
ご一読いただければ幸いです。無料で配布中です。

価値観の変遷 [日々の暮らし]

時代が変わると価値観というのも大いに変わるとしみじみ思います。

たとえば連絡方法。

かつては手紙で連絡を取り合うのが主流でしたが、
電話の到来により、受話器を上げて相手と話す
というのがメインになりました。私が子どもの頃は
電話最盛期でしたね。一家に一台しかありませんでしたので、
長電話をしているとよく両親に叱られました。
もっとも、どのご家庭も電話機は玄関先や廊下などに置いてありましたので、
冬は寒く、夏は暑くて長電話をするにも忍耐力がいりましたが・・・。

それから年月を経てPCメールが登場し、
連絡も本当に便利になりました。いつでもどこでも
時間を気にせずメールを打てますので、
相手の時間を邪魔しないで済むのは助かりました。

しかし、携帯やスマートフォンでメールが見られるようになると、
今度は相手の邪魔をしてしまうことも
考えられるようになりました。ここ数年のメールを見ると、
「遅い時間に失礼します」という文から始まるものも増えましたね。

もう一つ興味深いのは、メールが主体になってしまったがゆえに、
ややもすると「電話をすることが申し訳ないこと」
という位置づけになりつつある点です。
最近は仕事の依頼も請け負いも事後報告もすべて
メールということが少なくありません。
担当者と一度も会わず、一言も交わさずにプロジェクト終了
ということも珍しくないのです。

現に最近こんなことがありました。
長年メールのみでやりとりしていた担当者とお会いする機会が
あったのです。私の方でメールの文体などから
「こういうタイプの人かな?」と勝手に人物像を想像していたの
ですが、まったく違う背格好でしたね。
最初ごあいさつしたとき、内心戸惑ってしまったほどでした!

手段が変わると価値観も変わってくるものなのですね。

「いのちの移し替え」 [日々の暮らし]

佐藤初女先生は、ご著書の中で食に関してこう述べておられました。
「食べるということは『いのちの移し替え』である」と。
一昨日、先生の訃報をネットで知った日、私は
「いのちの移し替え」をまさに実感する体験をしました。

その日、天気予報であらかじめ確認した気温は決して低くなかったため、
私は薄手のコートで早朝シフトへと出かけました。
職場への道中は決して寒くなかったのですが、
早朝シフトを終えて外に出てみると、むしろ
夜明け前より寒く感じられたのです。
気温自体があっても、体感温度が低かったのですね。

この日は別件のため別の街へ向かい、昼食をとってから用事を
済ませたのですが、寒気がなかなか収まりませんでした。
自宅に戻ったのは夕方です。

普段私は多少眠くても横になって午睡をとることはあえて避けています。
夜に眠れなくなってしまうのですよね。
けれども水曜日は違いました。
先生がお亡くなりになったというショックも
多少あったのかもしれません。日頃の疲れが出たことも
考えられます。家族には「ごめん、ちょっと疲れたから
寝るね」と伝えて体を横たえました。

モコモコのカーディガンを羽織ったまま羽毛布団に入りましたが
寒さは依然として感じられます。首元が寒いので
私は体を横向きにさせ、頭まで毛布をかぶったまま
じっとしました。せっかく体を休めているにも関わらず、
自分の全身が非常にこわばっているのがわかりました。
頭から足先までカチカチのまま、コンクリートが固まったかのように
横になっていたのです。

それから少し経ち、家族が「夕食どうする?お母さん、
具合悪そうだよ」と話す声が聞こえました。
この日はもともと献立を考えており、食材も
あらかじめ用意していたのです。うとうとする中その話し声を
聞いた私は「大丈夫、大丈夫!夕食作るよ」と言って起き出し、
台所に立ちました。

ずっと続いていた胸焼け感は、ひょっとしたら昼食で脂っこいメニューを
選んだからかも知れません。いつもの私であれば
残すことはしないのですが、その日の肉料理は
脂身だけきれいによけて食べたほどでした。
それでも吐き気と胃もたれは続きましたので、
台所でまずおこなったのは、梅干しを食べることでした。
これでひと落ち着きするはずと言い聞かせながら
夕食を作り始めました。

作ろうと思っていたのはスープスパゲティとチキンサラダ。
パスタの方はチキンコンソメで作るとレシピには
書かれていたのですが、ふと思い立ち、チキンサラダ用の
鶏肉をだし取り用にすることにしました。
大なべを沸かして鶏肉を細かく切ったものを入れ、調理開始です。
その後、アクを取り除き、鶏肉本体も引き上げて
汁の方はスープスパゲティ用になりました。

家族4人がそろい、まだ多少ふらふら感があった私が
スープパスタを一口食べたときのこと。
何とも言えないうまみと味わい深さが体の中にしみこみました。
食欲がないから夕食はパスしようとさえ思っていたのですが、
なぜか食べる気持ちが出てきて、結局すべて食べ終えることが
できたのです。

これは衝撃的でした。

あれほどぐったりしていて体もこわばり、
気力もなかった状態だったのに、チキンだしのスープを
一口食べただけで体の中から変わっていく感覚を
得られたのです。

生前、初女先生がおっしゃっていた「いのちの移し替え」とは
このことなのか、と初めて私は実感しました。
命ある鶏が食材となり、私たちの口に入る。
それをいただくことで私は気力と体力を取り戻すことができたのです。

大切なことを改めて実感できた、貴重なできごとでした。
先生が遺してくださったメッセージをこうして
実体験できたことに感謝しています。

追悼・佐藤初女先生 [日々の暮らし]

私の敬愛する佐藤初女先生がお亡くなりになりました。
94歳でした。

昨日、通訳シフトに入った際、ふと「そういえば
初女先生は最近どうしておられるかしら?」と
気になり、グーグルで検索したのです。
すると一番最初にヒットしたのが先生の訃報でした。
2月1日に乳がんで亡くなられたそうです。

子どもたちが小さいころ、私は子育てで悩んでいた時期が
ありました。そのとき、友人が初女先生の本を勧めて
くれたのです。今を大切に生きること、食を大事にすることなど、
その本には先生が日々の生活の中で感じたことが
穏やかな文体で綴られていました。悩める私にとっては
一筋の光となりました。

子育てというのは一筋縄ではいきません。
仕事を抱え、二人の子育てに試行錯誤するなか、
やはり出口が見えてこなかった当時の私は、意を決して
先生のセミナーに参加しました。まだ幼い子どもたちを
連れて飛行機に乗り、北海道・支笏湖で行われた
一泊二日のセミナーに出かけたのです。
一人で子どもたちと長距離の移動をするのは初めてでした。
けれども一目でもいい、先生にお目にかかれればと
藁にもすがるような思いで北海道へと向かったのです。

まだまだ手のかかる子どもたちを自宅から羽田へ、
そして飛行機へと乗せて千歳空港に降り立ち、
土地勘のない中、ローカルバスに乗り支笏湖へと
たどり着きました。なぜここまで来るのか理解していなかった
幼い子どもたちはくたびれ果て、到着後は私を手こずらせました。

そのような中、先生にお会いできた安堵感と
子育ての苦しみがドッと噴き出たのでしょう。私は
人目もはばからず会場で泣き出してしまったのです。
今思い返しても相当取り乱していたと思います。

先生を始め、主催者のスタッフの方達、そして
他の参加者の方々に私は慰められ、共感され、
ようやく私は平常心を取り戻すことができました。
その日の会場で息子が先生に握手していただいている写真は、
先生のご著書に掲載されています。

今はまだ、先生がお亡くなりになられたという実感が
ありません。おそらく先生を敬愛する方たちも
同じ感情を抱いておられると思います。

あらゆる人を受け入れ、今という現実を謙虚に受け止め
人のために生きてこられた初女先生。
先生の御心は人々の心に受け継がれると思います。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

「タダ」ということ [日々の暮らし]

エッセイスト・松浦弥太郎さんの本に
「街頭ティッシュはもらわない」との一文があります。
不要なものを手に入れないという文脈で
書かれていたように記憶しています。

外国人が日本に来て驚くことの一つに、
「タダでモノを配っている光景」が挙げられます。
ポケットティッシュはもちろんのこと、化粧品のサンプルや
旅行パンフレットの入ったクリアファイルなどがありますよね。
中にはもらった際にアンケートを書かされるということも
あるようですが、たいていはそのまま受け取るだけで
手に入れることができます。

ちなみに「無料配布品」は私の身近な場所にもいろいろあります。
たとえば市役所内のカウンターには「オレオレ詐欺に注意」と
書かれたポケットティッシュがたくさん置いてありますし、
保険の窓口では個包装されたキャンディーが入ったバスケットを
見かけたこともありました。

一方、海外の場合、レストランでお水を頼めばしっかり加算されます。
そう考えると、日本の公園や公共施設などに冷水器があることも
奇跡のように思えてきます。

無料であるのはありがたいことですが、その一方で私たちは
そうした状況にあまりにも慣れてしまったようにも思えてしまいます。

モノやサービスだけではありません。
教育分野も同様で、無料体験レッスンから
MOOCのような授業の無料動画など、山のように存在します。

「タダ」というのは感謝すべきことだと思うのですが、
それに慣れきってしまうと「お金を払う」という行為自体に
躊躇し始めてしまいます。本来払うべきところに払わず、
タダを求めてしまって良いのだろうか、とつい私は
考えてしまうのです。

訃報・太田直子さん [英語]

先日の日経新聞文化欄に作家の星野智幸さんが
文章を寄せていらっしゃいました。字幕に関してです。
星野さんの師匠が字幕翻訳家の太田直子さんであることを
そのとき初めて知りました。

太田さんは「ボディガード」を始め数々の映画の字幕翻訳を
手がけてこられ、エッセイストとしても活躍なさっています。
本も出版されていますし、月刊誌でも連載をお持ちで、
私もその文章に魅了されていた一人でした。

その太田さんが、実は1月にお亡くなりになっていたことを
星野さんの文章で知りました。まだ56歳でいらしたそうです。
字幕や英語、ことばなどについて、太田さんのエッセイをもっと
読みたかったと悔やまれてなりません。

ご冥福をお祈り申し上げます。

「お~、今落ち込んでる!」 [日々の暮らし]

ことばを生業にしていても、日常生活の中でことばそのものから
大きなダメージを受けることがあります。
ことばの意味そのものを深読みしてしまったり、
早とちりして解釈してしまったりということが
私の場合あるからです。特に日本語の場合、
主語不在のまま文章が組み立てられます。
相手が言った「主語無しセンテンス」を
私なりに「主語補足済み解釈」をしてしまったがゆえに、
びっくりしたりへこんだりということになってしまうのです。

私自身コミュニケーションで生計を立てているのですから、
本来であれば即座に「それってどういう意味?」
と相手に尋ねるべきなのですよね。現に授業で私は
こんなふうに教え子たちに言っています。

「逐次通訳の場合、話者が近くにいるのですから、
不明点は尋ねましょう」と。

けれどもこういうアドバイスも実はしています。

「同時通訳の場合、話者が一番イイタイコトは何か、
話者になりきって推測しながら訳しましょう」と。

どうやら私の場合、相手の「イイタイコト」を勝手に
類推して独り相撲になることが多いようです。
それで一人でヘトヘトになってしまうのでしょう。

そのようなモードになってしまった場合、
自分で自分を復活させるのは容易ではありません。
もうここは達観して「お~、今自分は落ち込んでる!」と
客観視してしまう方が良いのかもしれません。
「ま、しょーがーないよね、傷ついたのは事実だし」
と認めた方が、あとは這い上がるだけになってきます。

人は何歳になっても、あるいはどのような恵まれた環境に
置かれていても、対人関係や言葉のやりとりで
傷つくことは大いにありえます。「大丈夫」と気持ちを
奮い立たせて切り抜けることも一案ですが、
それができない時はただただ自分の心に耳を澄ませ、
そんな自分を受け入れるのでも良いと思うのです。

いつもポジティブでいることが勝利でないのと同様、
ネガティブ状態を認めることも敗北ではないと私は思っています。

3月26日土曜日体験レッスンのお知らせ [英語]

アイ・エス・エス・インスティテュート東京校で
体験レッスンを担当することとなりました。
詳細は下記の通りです:

2016年3月26日土曜日 10:30-12:00
準備科・入門科クラス

詳しくはISSのウェブサイトをご覧ください。

http://www.issnet.co.jp/english/interpretation_t.html#free

みなさまのご参加をお待ちしております!.