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numberline [日々の暮らし]

私たちが日常で使う商品の多くが中国製で、
この状況が見られるようになってからかなりの
年月が経っています。もはやMade in Japanという表記を
探す方が今の時代、難しいかもしれません。
それぐらい中国商品が日本のみならず世界中を
席巻しているのがわかります。

けれども何年ぐらい前からでしょうか、
中国「以外」の国名も見られるようになりました。
たとえば我が家が愛用するコーヒーサーバーはタイ製ですし、
歯磨き粉もMade in Thailandと書かれています。
洋服もベトナムやカンボジア製のものが増えていますよね。

ところで洋書を広げて興味深い表記があることに
先日気づきました。出版社の本部がアメリカやイギリスにあっても、
Printed in IndiaやPrinted in Macaoなどという表記が
あるのです。日本で出版される日本語本の場合、
ほとんどが日本で印刷されています。ですので、
意外な地名が出てくると、なぜそこで印刷したのか、
その経緯が知りたくなります。

ちなみに洋書の奥付(実際には表紙の次の次の頁ぐらいに
印刷されています)を眺めていると、フシギな数字の羅列が
あります。出版社や印刷関連の情報の次あたりに
出ているのですが、こんな数字が並びます:

3 5 7 9 10 8 6 4 2

別の本ではこう書かれていました:

1 3 5 7 9 10 8 6 4 2

うーん、一体この数字は何なのでしょう?
印刷が正しいことを示すものでしょうか?

・・・と思って調べたらありました!!!
printer's keyないしnumberline、printer's codeと言うそうで、
これは「刷」を表すようです。よって、冒頭に「1」とあれば
これは第一刷ということになり、刷を重ねるにつれて一つずつ
削られていくのだそうです。つまり、左端に「2」とあれば
第二刷となります。ただ、全世界共通の表示基準は特に
ないようです。

詳しくはこちらに書かれています:

http://www.biblio.com/blog/2010/12/what-is-a-numberline/

コラム更新のお知らせ [各種連載]

「放送通訳者直伝!すぐ使える英語表現」
第137回ではa laundry listを取り上げました。

http://www.hicareer.jp/english/housou/137.html

「通訳者のひよこたちへ」第273回はインターネットについての
考えをつづっております。書籍紹介は第一次大戦中の
プロパガンダポスターに関してです。

http://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/273.html

なお、5週目の「ひよこ」は休載ですので、次回は
9月5日月曜日にアップの予定です。
よろしくお願いいたします!

「仕事をする人」の呼び名 [日々の暮らし]

街なかを歩いていると目に入ってくる様々な活字が好きで、
ついつい見てしまいます。最近注目しているのは
アルバイト募集の広告。「パート募集」「アルバイト求む」
など表記も多様ですよね。

以前であれば正社員、パート、アルバイトぐらいの
分類および表記表でしたが、最近は同じアルバイトでも
呼び方は様々です。

たとえば「スタッフ」「クルー」「キャスト」などが
ありますし、業種に応じて「バリスタ」「フェロー」
「パートナー」などもあります。

このような呼び方はいつぐらいから出てきたのでしょうか?
気になったので調べてみたのですが、今一つ
見つかりませんでした。ただ、企業経営の観点からすると、
「クルー」などの呼び名にした方が、応募者側から
良いイメージを持たれるという説明は見つかりました。
なるほど、と思いましたね。

カタカナではなく漢字表記にするならば、いずれも
「従業員」「作業員」となるのでしょう。けれども
書き方一つでイメージが変わるというのが日本語の
面白いところです。

などと書いていたら、ふと、以前見た「寅さん」の映画を
思い出しました。渥美清さん扮する寅さんがよく口にする
「労働者諸君!」です。

移りゆくということ [日々の暮らし]

日々の暮らしを続けている以上、物事が「変化する」
ということは避けて通れないと私は感じています。
たとえば、今までお気に入りだったお店が
ある日突然閉店していたということもありますし、
好きだったウェブサイトがデザイン変更をして
かえって見づらくなったなどということも
考えられます。それまで慣れ親しんでいた分、
変化に自分が適応するのが大変、というケースです。

「当たり前だった期間」が長ければ長いほど、「なぜ?」という
気持ちは強くなるでしょう。「せっかくここまで
続いたのに」という「せっかく感」が心の中で
大きくなるかもしれません。

けれども物事が永久に続くということはありません。
それは人間の命に終わりがあるように、何事も
いつかは変化したり終焉を迎えたりということが
あるからです。

そうした状況に直面した際、「あの時は良かった」
「昔はこうだったのに」と過去だけにしがみついても
なかなか前に進めません。現状を受け入れ、では
自分はその新しい境遇に対してどう接していくかを考えて
行動を具体的にとることが一番建設的だと私は考えています。

物事は移りゆくということを受け入れることこそが
最大の解決策だと思うのです。

メールの件名のこと [仕事]

最近のメールソフトは本当に賢くなりましたね。
とりわけ私が重宝しているのは、迷惑メールの
自動振り分け機能です。覚えのないところから
怪しいメールが届いても、ソフトが自動的に処理して
くれますので、間違って開いてウィルスに感染する確率も低くなります。

ただ、そうした機能も万能というわけでは
ありません。私の知人の場合、自宅のPC自体が
ウィルス感染してしまい、そちらから多くの人に
メールがまかれてしまったことがあるそうです。
受け取った方も知人の名前に安心してしまい、
うっかり開いてしまったとのことでした。

一方、迷惑フォルダに振り分けられない
「微妙なメール」もあります。おそらく差出人のアドレスを
見て、ソフトの方も「この人は多分無難」と考えるのでしょう。

それで思い出すことがあります。
ずいぶん前に読んだマナー関連の本に
封書を送る際の書き方に関して説明がありました。

たとえば、初めて出す相手が自分のことを
知らないというケースがあります。
本の感想を著者に出すときなどです。
そうした際には、封筒のどこかに
「(作品名)を読んで・(自分の名前)」という具合に、
書けば、受け取った著者も安心できる
と書かれていました。

これはメールにもあてはまりますよね。
最近は、SNSを始め、ネットを徹底的に調べれば
その人に個人的なメッセージを送ることができるとも
言われています。そのような相手にいきなり
メールを送る際には、件名の欄をよほど気を付けて
書かない限り、受信側は訝しく思うでしょう。
なぜならば、メールソフトに「知らない人の名前」が
送信者欄に表示され、「件名」のところに
これまたわけの分からないことが書かれていたら、
まずはウィルスメールと疑われても不思議ではないからです。

初めてメールを送る相手に対して件名欄に
「お願い」「お礼」「○○について」とだけ記すのでは
不十分です。件名欄はある程度の文字数を入力
できますので、受信者が不信に思わないよう、
なるべく具体的に書くことが大切だと私は思っています。

ボランティアのレベルについて [日々の暮らし]

イギリスの名所旧跡などを訪ねると、ボランティアの方達が
活躍しているのをよく目にします。数年前に出かけた
ダーウィンやチャーチルの家も同様で、
ボランティアガイドの方々は部屋の隅に待機し、
必要に応じて来館者のお手伝いをしていました。

イギリスのボランティアガイドの特徴としては、
こちらが何かを尋ねようとガイドさんを探すと
すぐに目を合わせてこちらに来てくれることでした。
おそらくご本人たちは、いつでもすぐにお手伝いが
できるよう、来館者をくまなく見渡しながら常に
スタンバイ状態だったのだと思います。
こちらの質問にはコンパクトに答え、しゃべり過ぎず
くっつき過ぎずで程よい距離感でした。

実はこの「距離感」というのが案外難しいと私は思います。
と言いますのも、もしこちらが何かを質問した際、
マシンガン的に答えられても困りますし、
いつまでもぴったり寄り添われてもちょっと・・・と
思ってしまうからです。

もう一つイギリスで思い出すのは、ボランティアガイドさんの
話術でした。リタイアされた方たち、しかも
お年を召されているガイドさんでもテキパキと説明を進めて
いくのです。コンパクトに情報をまとめ、
ひとつの場所で手短に説明しては、次の場所へ移動、
という感じでした。ウォーキング・ツアーで
案内して下さったボランティアさんたちはいずれも
そのような感じでしたね。

日本では2020年の五輪を控え、「おもてなし」という
キーワードが注目されています。今後ボランティア通訳や
ボランティアガイドも増えていくことでしょう。
日本のおもてなしの素晴らしさは世界でも称賛されて
いますが、その一方で、観光名所の案内などには
まだまだ改善の余地ありというケースも存在するようです。

ボランティアガイドをお願いしたお客様が、
「ま、ボランティアがやってくれるから多少話術が
いまいちでも仕方ない」と思ってしまったり、
「ボランティアガイドにお願いするのはもう勘弁」などの
事後感想を抱いたりしないようにするためにも、
今後はボランティア養成の具体的な内容を諸外国に学び、
日本ならではのおもてなしにつなげることが大切と
私は考えています。

耳を澄ませる [英語]

夏の間というのは日本にいるとセミの大合唱が
聞こえますよね。イギリスにはセミがいませんでしたので、
子どもの頃、数年ぶりに帰国した日本でセミの声を
聞いたときには新鮮な驚きを覚えました。
最近は車での移動が多いのですが、たとえエアコンやラジオなどを
つけていても、街路樹からはセミの声が聞こえてきます。
まさに夏の風物詩です。

通訳や語学の仕事をしているためか、私は色々な「音」に
興味があります。街中を歩いていてもセミの声や
車の音、風のそよぐ音など、なるべく多くの音に
敏感でありたいと思っています。車好きであれば
もしかしたら音だけで車種を言い当てられるかも
しれないのでしょうね。そうした耳を持ち合わせたいとも
思います。

一方、英語の音も私にとってはいつまでも楽しい音と
なっています。「なぜこういう発音なのに、スペルでは
こうなるのだろう?」という素朴な疑問を始め、
非ネイティブ話者の発音にはどういった特徴があるのか
など、興味は尽きることがありません。

辞書の発音記号も神秘的で、この記号を初めて考えた人は
何て天才なのだろうと思いますし、中世で使われていた
スペルが時代と共に簡略化されていったいきさつなどを
知ると、ことばが生き物であることをしみじみ感じます。

巷にはどうすれば英語の資格試験の点数を上げられるか、
どうしたら効率的に英語の勉強ができるか、という具合に
「学習の対象」「こなすべきモノ」という立場に
英語は置かれているように思います。
けれども、私にとっての英語とは一生つきあう未知の友であり、
五感を研ぎ澄ませながら取り組むものなのですね。

いつもワクワク感を抱きながら、これからも楽しんで
学んでいきたいと思っています。

息抜きの大切さ [日々の暮らし]

ここでも頻繁に書いているのですが、私はいまだに
スマートフォンやiPad、モバイルPCを持っていません。
あれば本当に便利だと思いますし、仕事現場で
「ちょっと調べたいな」というときに手元で
リサーチできればとても助かると考えています。
けれども、それがなければ立ち往生するかというと
実はそうでもないため、あえて持たないという選択を
しています。

もう一つ「持たない理由」は「没頭してしまうのが怖い」
ことが挙げられます。私は熱しやすくて冷めやすいタイプで、
集中し始めるとかなりのめり込んでしまう傾向があります。
ひとつのことにガッツリと取り組んでしまい、
寝ても覚めてもそればかりということに
なりかねないのです。そう考えると、もしスマートフォンを
手に入れれば自分がどうなるか具体的に見えてきますので、
それを避けたいがゆえに持つことをしていないのです。

小学館の書籍PR誌「本の窓」に興味深い文がありました。
僧侶・小池龍之介さんのエッセイ「思い込みの突破法」です。
小池さんもやはりデジタルグッズをお持ちでないことが
文章には書かれていました。小池さんによれば、
インターネットは次の3つの浪費をさせてしまうそうです。

1.時間の浪費
2.リラックスする時間の浪費
3.今、目の前にあることに集中すべき時間を
間接的に他のことに費やしてしまう浪費

ひとことで言うならば、人間にとって必要な「息抜き」すら
私たちから奪ってしまうのがインターネットだと
小池さんは綴っています。

その対策として、小池さん自身、PCまで処分したことに
ついてこう語っています。

「『手近にありすぎる』そして『便利すぎる』がゆえに、
人間の神経回路が情報の快でくるってゆくのを防ぐためには、
有効な手法と思われます。」

あえて不便を取り、人間らしさを取り戻したいというのが
小池さんのスタンスです。

(「本の窓」2016年8月号、小学館)

プロの助言を求めること [日々の暮らし]

日々の生活を営んでいると、様々なことに出会います。
時には立ち止まってしまい、どうしてよいか
わからなくなることもあるでしょう。たいていのことで
あれば、時間が解決してくれたり、手探りで何とか
答えを見いだせたりと、自分なりに納得のいく展開に
なることがあると思います。

けれどもいつもそうとばかりは限りません。
ときには素人判断ではまったく歯が立たず、
右往左往してしまうかもしれません。
あるいは自分なりにあれこれ取り組んでみたものの、
予想外の展開になってしまい、ますます泥沼化
ということもあるかもしれません。

そのようなときは、自分よりもはるかに知識や知恵を
持つ人、すなわち、その道の専門家に指示を仰ぐ方が
賢明です。

たとえば「心の病気」を例にとってみましょう。
私が子どもの頃は、鬱などの心の病はタブーとされ、
それについて語ったり、具体的に誰かがそれに見舞わている
ことを指摘したりというのは控えようという雰囲気が
ありました。そうした中、小中学生を過ごしたイギリスや
オランダでは、「鬱はタブー視するものでなない」
というスタンスがあったのです。

「気分が晴れないの?じゃ、医師に診てもらったら?」
というのが一般的な考えで、当時の日本のように
「物は考えよう」「がんばって」などというものでは
なかったのです。

今でこそようやく心の病気が公にできる時代になり、
日本でもそうしたクリニックや書籍、支援団体などが増えてきました。
これは日本にとって大きな前進です。

だからこそ、問題に直面したら一人で抱え込まず、
プロのアドバイスを求めることが大切だと私は思っています。

写真の笑顔 [日々の暮らし]

最近はスマートフォンの普及により、誰もが
写真を撮影するようになりました。私が子どもの頃は
カメラも高価で、そうそう買えるものでは
ありませんでしたので、隔世の感があります。
ちなみに私が最初に使ったカメラは
Kodak Instamaticだったと記憶しています。
横長のカメラでフィルムも同じく横長でした。
一本のフィルムで撮影できる枚数は限られていましたので、
フィルムを無駄にしないよう、撮影時にも
色々と厳選していましたね。

ところで写真撮影で思い出すことがあります。
オランダに暮らしていたときのことです。
当時通っていた学校はインターナショナルスクール
だったのですが、アメリカ人の次に日本人が
その頃は多い時代でした。先生にはいつも
"No Japanese!"と日本語使用禁止を言われていたものの、
子どもたちはついつい日本語ばかり話していましたね。
そのため、2年間も通っていたものの、私の英語は
全く上達しませんでした。それぐらい子どもの中でも
「日本人社会」と化していました。

では子ども同士仲が良かったのかと言えば、
そうとも限りませんでした。小学校低学年というのは
そんな時期なのでしょう。男子と女子はよく
ケンカしていましたし、男子からは罵詈雑言が、
一方の女子もそれに負けじと反論していたのを
思い出します。

そのような環境の中、一人だけ穏やかな男の子が
いました。決して女子に向かって悪いことは言わず、
子ども心に紳士のような子でした。

私の手元にスクールアルバムがあるのですが、改めて
めくってみると、その子はいつも写真撮影時に
笑顔でした。普段からニコニコしている子だったのですが、
カメラを向けられると自然と笑顔が出ていたのですね。

そのスタンスが何とも私にとっては印象的で、
以来、写真におさまるときはニッコリするのが
大事という考えで今に至っています。

懐かしい思い出です。
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